奈良田の四季の風韻

奈良田の四季の風韻


弥生から卯月のころ―――。
桂、白樺、榛の木(はんのき)、水楢、小楢、栗、欅、朴ノ木(ほうのき)、山桜、黄肌(きはだ)、楓、栃の木、級の木(しなのき)、水木(みずくさ)、令法(りょうぶ)、塩地(しおじ)、桐、胡桃、椎の木(しいのき)、周りの広葉樹が一斉に芽吹く、落葉松も負けてはいない。淡い黄緑色の若葉を精一杯伸ばす。
森や林の鼓動の音が聞こえてくる。まばゆいばかりの新緑の中、澄んだ空気がこんなにも美味しいことを実感する。だれよりも早くズサ(檀香梅)の花が春を告げ、岩つつじも咲き誇る。次々と山吹、山桜等が美しさを競う。

皐月のころ―――。
山梨では、鯉のぼりの他に武田信玄公の五間のぼりが旗めく季節である。こんな奥深い山里にも一本立っていて、なかなか風情があって絵になる。こんな頃、奈良田の山々はすっかり緑色に包まれる。
山菜取りの名人が手帳を開いて、日付と場所を確認し手ぐすね引いている。蕨、山うど、たらの芽、こごみ、みず、わさび、山椒、せり、蕗、山人参、山牛蒡、もみじ傘、やぶれ傘、たけびる、のびる。奈良田は山菜の宝庫だ。
山女魚、岩魚もこの頃になるとサビもとれて太公望たちが穴場を求めてやってくる。尺物をあげた客が誇らしげに話しているのが開け放った窓から聞こえてくる。

水無月から文月のころ―――。
湯舟から奈良田湖に架かった吊り橋と、山霧が立ちこめかすかにしか見えない奈良田越(ならだごえ)に連なる山波を眺める。
雨だれが規則正しく落ちる。うっとうしいはずの梅雨も、ここでは益々深山幽谷の趣に変わる。田中冬二の詩のくだりを思い出した。
「雨はまた、ひとしきり激しく、谷向いの山をかくし。谷川も下の蒟蒻畑も、けむりながら暮れてしまった。御神木の樅ノ木で二羽烏が鳴いた」。

葉月のころ―――。
下界の猛暑からの逃避者が涼を求めてやってくる。標高825メートルの奈良田に吹く風はここちよい。
静寂を若者が登山靴でカッポする音が打ち砕く。南アルプスを越えてきた音だ。今にも座り込みそうな音もあるが、おおかたは満足感がこっちまで伝わってきそうな音である。山男の雄たけびが谷向いの森山にこだまして弾む。
そんな若者を湯治客がまぶしそうに見つめる。
白鳳渓谷をぬけてきたジープが止まった。ルアーが無造作に積んである。
丸山林道を越えてきたバイクが8台、どれもほこりだらけだ。ゴーグルを取ると目のまわり以外真っ白だ、お互いの顔を見て笑っている。長身の男が、宿の前の水道の蛇口に口をつけてゴクゴク飲みだした。いかにもうまそうである。奈良田の民家では、水道の水でビールを冷やす。とても信じがたいが本当である。それほど冷たくてうまいのだ。

長月のころ―――。
赤とんぼが乱舞するころになると、奈良田に静けさが戻ってくる。夏の賑わいが、まるでうそのように思われる。
頭にタオルをのせた老夫婦が談笑しながら湯殿に向かう。湯気抜きから大きな話し声が絶え間無く聞こえてくる。一人は甲州弁だ、もう一人は東京からきたのだろうか、きれいな標準語だ。各地の温泉場をずいぶん歩いているらしく、長々と能書きを説明しているようだが、よく聞き取れない。

神無月から如月までのころ―――。
地元の者であろうか、見るからに茸狩り風体の男が、くたびれたリュックザックを背負って来る。なんと云う茸か尋ねると、「今日は、えらいもうかった」と言うだけで、なんとも無愛想だ。再三尋ねると、ぶっきらぼうに「こまい」と「かのした」だと言う。宿に帰って主人に聞いてみると、「こまい」は舞茸のことで、「かのした」はブナハリ茸のことだと解る。先ほどの男が「もうかった」と云った訳を納得する。
奈良田の山々は、落葉樹が多いので紅葉は最高だ。岩場のもみじが真っ先に色付く。昨年の10月25日、愛車パジェロで奈良田から白鳳渓谷、広河原、夜叉神峠とまわった時は、天気にも恵まれたが生まれて初めてこんなにも素晴らしい紅葉を見た感動で、武者震いにも似た震えが全身を貫いたのを忘れられない。白根三山の山頂附近は、真っ白い雪化粧、下界は錦秋、雄大なスケール、日本一の景観だと言っても、だれも文句をつける者はいるまい。
奈良田温泉附近は、10月下旬が見頃になる。山葡萄、うるし、カツの木、楓、山もみじ、錦木、七釜戸等の朱と、桂、級ノ木、ぶな、楢、それに落葉松等の黄の織り成す彩りの競演は、深まる空の青さと共に奈良田湖に映え、まさに「燃ゆる奈良田」であろうか。
この頃になると、宿の主人が鉄砲の手入れを始める。甲斐犬の訓練も怠り無い。間近にせまった狩猟解禁を待ちわびているのだ。獲れた獲物は、客に提供するのだと言う。熊、猪、鹿、山鳥等々。これから寒くなると珍味の鍋が旨い。なかでも絶品は、親父鍋と呼ばれる熊鍋、それに鹿刺し。昨年は、たまたま鹿狩りの日に泊まったので、仕留めたばかりの日本鹿のレバー刺しをごちになった。とろけるような、なんとも表現できない旨さだった。こんどは猪のモツを食いたいナーというと、「はいよ今度ね」ときた。又この湯に来るうまい口実ができた。
奈良田の冬は寒いが,それが又温泉の良さを際立たせる。いつまでもポカポカして真冬でも湯上りのビールが旨い。私も温泉通を自認するが、これだけの良質泉は他に類を見ない。「いい温泉をみつけた」。
奈良田にて。 月岡 清二