狩猟日記

狩猟日記 深沢 守

 南アルプスの秘境、女帝伝説の隠れ谷、陸の孤島、異風な方言の島、古典民謡の里、武田信玄最恵待遇の村、焼畑農耕日本最後の村、民俗学の宝庫。いずれも奈良田を形容する言葉が並ぶ。
 昭和二十八年、山梨県野呂川総合開発事業の一環として、水力発電所建設の為に、早川渓谷に沿って道路ができるまでは、閉鎖的で貧しい自給自足の生活を頑なに貫いてきた、南アルプス最深部、辺境の地である。
屏風のごとく切り立った前方の山が森山、その奥には、農鳥岳、広河内岳、大籠岳、白河内岳、笹山、白剥山、と南アルプス南方稜が続く。
 上流には、名立たる白鳳渓谷が、鋭く、しかも深く切れ込んでいる。
 どっちを見ても急峻な山々に圧倒されるが、こんな山にもアラク(焼畑)を耕作し、主食である粟、稗、蕎麦、大豆、小豆等の雑穀を作り、わずかばかりのカイト(畑)では大麦を作っていた。御符水(ゴフウスイ)と呼ばれる岩清水を引き入れ稲作にも挑戦したのだそうだが、日照時間の少ない山間の地では、稲穂が垂れることはなかったという。
 付近の山から唐檜(トウヒ)や檜を切り出してガワ(曲げ物)を作り。桐や沢胡桃(サワグルミ)で下駄をひき、白檜曽(シラビソ)で畳の縁を作った。これらの製品が峠を越えての交易による、唯一の現金収入の道であったといわれている。その木工の技術が、三味線や太鼓作りにも生かされ、独特な民謡のお囃子に欠かせないものだった。こんなところにも自給自足の生活を垣間見ることができる。
 戦国の名将武田信玄は、この奈良田村に甲斐の国七八〇村の中から唯一、一郡一村(山城郡奈良田村)と諸役を免許(年貢労役免除)して、名字帯刀まで許されたという。当時の名主宅には、信玄公の御印判のある古文書が大切に保管されている。このことは歴史家の間で、様々な説があり、なぜ奈良田だけを特別優遇したのか悠久の謎に包まれている。
 地元では宝生流の謡曲が伝承されていることや、種々の儀式唄、仕来たり等に、遠く奈良の都に想いを馳せて、第四十六代孝謙天皇御遷居の由緒によるものだ、と根強く信じられている。孝謙帝の仮宮があった、と言われる村の高台は王平と呼ばれ、今では帝を奉った奈良王神社が建てられている。周りには、歴代山梨県知事の植樹がすでに大樹となり、村人達が参拝を欠かすことはない。
 焼畑農は、昭和三十年頃まで実際に行われていたので、経験者がまだ大勢いるし、素朴でユニークな諸々の道具は、歴史を語る貴重な資料として当地の歴史民族資料館に今も生きている。
 焼畑にしても、方言にしても、あるいは民謡や民話、年中行事等々、いずれも古い形のまま残されていることから、すでにいろいろなメディアを通して紹介されているのだが、ただ一点、狩猟に関する部分だけが、なぜかベールに包まれている。
 古老の話を聞くと、動物性蛋白質を補うために、あらゆる鳥獣がターゲットとなる猟法が確立されていたという。特筆すべきは、月の輪熊を捕獲する「熊ビラ」と呼ばれる全国他に類の無い罠猟の技だ。鉄の檻も、針金も、釘さえも無い時代に、日本の獣王である熊を、木組みの仕掛けだけで容易に捕らえたのである。現代では、この猟法は狩猟法により禁止されているので詳しくは述べないが、私がこの猟法を初めて見た時、熊の習性を知り尽くした先人の知恵と、その仕掛けのアイディアに衝撃を受けたことを鮮明に記憶している。
 熊、鹿、猪、それにカモシカ等、大型獣が獲れると、村中の女衆が、鍋やらザルを手に物々交換に集まってきて、お祭り騒ぎだったという。
男衆は、誰もが生きる為に狩りをし、その技を磨いた。焼畑のほうが有名で、焼畑農耕民族であることが注目されるが、多彩な猟技を持つ狩猟民族であることも見逃せない。
 狩猟犬として優れた才能を発揮する甲斐犬も、奈良田が発祥の地である。隔絶された村だからこそ、純血種が長い間保存されていたのである。狩りが、生きる為の手段であったことを考え合わせると、甲斐犬が家族同様に大切に飼われていたことも納得できる。
 奈良田に生まれ育った私の身体にも、そんな血が脈々と流れているのであろう。元来、山歩きが好きなことと、小さな宿屋を営んでいるので、山肉を食材に使う為の実益を兼ねた狩猟にのめり込んでいる。
 猟の一番の魅力は、野生の獣に対する駆け引きの技であろうか。知れば知るほどに奥が深く、先祖伝来の技に、さらに磨きをかけて、この技を伝承しなければ、との想いも強く抱きながら、新たなる技の追求が限りなく続く。
 数え切れぬ程の出猟の中から、強烈に脳裏に刻まれている狩猟日記をひもとく。

巨大熊 1995/2/12 湯島池之上にて

 平成七年度の狩猟期間も余すところ後四日、最後の日曜日に地区の猟友会の面々で「お祭り(共猟)をやらだあ」、ということになった。
 当日の朝、気温マイナス五度、晴れ、弱北風、七時に集合した猟友たちは、それぞれ手分けして山に入る。沢を登る者、尾根を登る者、猪の見切りに出かけたのだ。見切りとは、猪の獣道で足跡やら食み跡を探し出し、その情報を集めて当日の猟場を決定する最も大事な仕事なのである。見切りが正確にできるようになるには、かなりの熟練を要する。足跡が猪なのか、あるいは鹿なのか、登ったのか下ったのか、何頭か、大きさは、昨日から今朝までの天気は、雨や雪は、風が吹いたか、気温はどうだったか、様々な要素からどのくらい前の跡かを判断し、猪の寝屋を推理するのである。
 「三日ほど前の食み跡をみた」という老猟師の話だけで、この日の見切りでは、どこにも新しい情報は発見できなかった。
ベテラン猟師達が額を集めてあれこれ協議を始めた。若い初心者達は、周りを囲んでタバコをくゆらせながらベテランの意見に耳を傾ける。見切り情報が無いこともあり、なかなか決まらない。「せっかくのお祭りどうで、何とかしらだあ」、先程の老猟師の嗄れ声が寒気に震える。
 やっとのことで猟場が決まり、トランシーバーの周波数を決め、マグサが発表になる。マグサとは、猪道に射手を配置することで、当然のことながら実績のあるベテラン猟師から可能性の高いマグサが与えられる。したがって初心者は猪の気分次第では、というようなマグサになるわけだが、ここが猟のおもしろいところで、思惑通りに猪は走ってくれず、大猪が初心者のところに、なんてことはざらである。
 いよいよ山に入る。ここからは、トランシーバーがやたらと賑やかになってくる。「堰堤上、現着」、「了解」、「本流びらは、いつでもいいぞ。ここへ猪を頼まあ」、「まかせろし」、マグサの猟師は、この時点で仕留めた時のことに思いを巡らし、第一声を何と言おうか考えている遊び心たっぷりの連中なのだ。
それぞれ配置に付いたところで、やっと私の出番である。私は、「勢子」と呼ばれる獲物を追い出す役どころ、山また山を、愛犬達を引き連れて探索するのである。もちろん足跡、食み跡等、獣の動向に気を配りながら寝屋を探し出す。
 冬の猪は、日あたりのよいブッシュの中を好むが、風の強い日や、雪、雨等お天気によっても寝屋は変わってくる。尾根の南側は雪も無く歩きやすいのだが、日陰の斜面には、十センチメートル程の雪があり滑りやすい。そのかわり足跡は発見しやすい。
 一時間ほど登ったところで、リーダー格のドラゴンとジローが見えなくなった。「足っこ(足跡)は無いけど、犬が引けたから注意、注意」、マグサの猟師に一報を入れる。犬が引けるというのは、獣の臭いを嗅ぎ付けた犬が、私の周りから離れることをいうのだが、三十分もこれが続くと、必ず獲物を発見する。
 私は、雪の無い南斜面を丹念に探りながら登る。しばらく登ったところで、今まで一緒にいたはずの縁の子(小犬)達も見えなくなった。「豆(鹿の糞)はいっぱいあるけど、猪のスレ(形跡)は無し、エーしかしながら縁の子も引けたのでボチボチ始めると思うよ」、少しおどけた調子で第二報を入れる。「了解、早いとこ連れて来てくれちゃあ」、「俺りゃあ、今シーズンぜんぜんどおで、俺んとこい頼まあ」、獲物が出そうな報に、マグサの声も弾んで返ってくる。
 しかしいつまでたっても鳴きがとれない。刻々と時は過ぎる。一時間ぐらい経過したろうか、一番下の道路脇にいるはずの親父に、「犬は引けたままだから物は出てると思う、鳴きがとれねえから奥へ移動して、日陰の様子を聞いてみて」、「了解、どこかで止めてるずら」。止めるというのは、愛犬達が猪を取り囲み、逃がさないことをいうのだが、私も同じことを考えていた。
 「それにしても猪のやつ、どこに寝てたずら。一尾根奥の日だまりかな」、などとブツブツ唱えているところへ親父の大声が入ってきた。「鳴いてる、鳴いてる、止めてるぞ」、「どのへんだ」、「鉄塔のチョット上あたりだ。場所が悪げどうで気をつけろ」、「了解、了解」、南斜面にいた私は、北へ向かって行動を開始する。途中で真新しい食み跡を発見、猪を止めてるものだと確信し、気持ちは急くが、ブッシュに遮られやむなく回り道。やっとのことで尾根に出ると、愛犬達の鳴き声が飛び込んできた。
 この時、もう獲物を捕ったような気分で涌く涌くする。猟師というのは、おおむね身勝手なものだ。しかし、岩場で急斜面、なかなか近づけない、この間も親父が「まだか、まだか」と急かすのだが、私は、安全最優先でゆっくりと進む。
 五十メートルほど下方の岩場に犬が見えてきた。尻尾を振りながらギャンギャン、ガンガン吠えている。縁の子達は、吠えながらウロウロしているし、肝心の猪の姿が見えない。さらに接近したのだが、どうも様子がおかしい。
 よく見ると、ドラゴンは、岩穴を吠えている。「まいったな、どうもタヌキのようだ」、「なんだ、ほうか」、親父のがっかりした声が返ってきた。この日のお祭りの大将である猟友会長も、「しょうがねえ、しょうがねえ、やり直しだな」。
 ところが、犬の側に来て岩穴を覗くと、「ガァーー」という臓腑に染み渡る鳴き声が聞こえた。「熊だー」、タヌキのつもりだったこともあり、全身に電流が走ったようだ。愛犬達は、私が来たことで益々吠えまくる。背負ったままの銃を急いで構える。
 穴の入口でドラゴンとカゲマルが吠えている。岩の下方でもタローとジローが吠えている。銃を構えたまま周りの様子を見ると、どうも横穴もあるようだ。岩を下って横穴を覗いてみると、小さな岩の割れ目に鼻を突っ込んでタローが鳴いている。ここから熊は出られないことを確認して岩の上に戻り、出入口であろう穴を覗いてみた。
 犬を威嚇するように熊が吠える。真っ黒い頭が見えた。
 縦穴が直径五十センチメートル、深さが二メートルぐらいか、そこから穴は横に広がっているに違いない。熊は頭だけ見せて「ガァー」、すぐに引っ込んで見えなくなる。とりあえず仲間に連絡する。「熊だ、熊だ。岩穴の中で時々顔を出すだけどうが、どうしたもんずら」、「でかいもんか」、親父の声が入る。「頭しか見えんから分からんな」、交信しながらどうしたものか必至で考える。
 穴から出てきそうにもないので、頭が見えた時に撃つことに決め、大きく深呼吸をしてから穴に向った。しかし、ドラゴンとカゲマルが穴を占領しているので、銃を向けることさえできない。やむなくカゲマルを左手で抱きかかえて、右手一本で銃を構える。カゲマルは、獲物を目の前にしているので興奮して暴れる。ドラゴンも銃にのしかかる。引き金にかかった指が心無し震えている。鼓動の音が耳からせり出してきそうだ。犬達のけたたましい鳴き声と、威嚇する熊の太い声だけが支配する中、一発の銃声が岩穴に炸裂する―――――。
 「終わった」と思ったのは、ほんの数秒間だけだった。「ガガァァーー」、低く絞り出すような声が再び縦穴に響く。その瞬間、全身から血の気が引くのが分かった。とっさに穴から離れ、「落ち着け、落ち着け」と自身に言い聞かせながら、冷静を装って交信する。「半矢のようだ。まだガァーガァーすごいや」、「大丈夫か、気をつけろ」。半矢の熊の怖さは充分知っているだけに、一発で仕留めるべく眉間を狙ったのだが悔やまれる。それっきり熊は顔を見せず、鼻息だけがいっそう荒々しく聞こえてくる。
 「どうしたものか」思案に暮れながらポケットのタバコをまさぐり、百円ライターを何回もこすり、目いっぱい煙を吸い込んでから、岩を下り横穴を覗いてみた。ドラゴンがついてきて、かわりにタローとジローが上の穴に移動した。
 ここで状況が動き出した。ドラゴンが横穴の小さな割れ目から中に入ろうとする。「やめろ」、「入るな」、私の制止は聞こえないのか、ガンガン吠えながら穴に入ってしまった。私は、焦った。「犬が、殺られる」と思ったからだ。上の犬達がものすごい鳴きをはじめ、穴の中でもドラゴンの鳴き声が反響して強烈だ。私は、再び岩を登り上の穴へ向かう。カゲマルが、穴の入口より一歩下がった所で吠えている。すでに巨大な熊が穴から出ていたのだ。
とっさに銃を向ける。 熊は、私に気づかず出てきたばかりの、岩穴の中のドラゴンを威嚇している。これが私に幸運をもたらした。銃身を、熊の背中に押し付けるようにして二の矢を放つ。熊は、岩穴に顔を突っ込んだまま動かなくなった。これが止め矢となり、三十分程のサスペンス・ドラマがやっと終わった。
半矢の熊と、面と向かいあった状況なら、私の銃が正確にヒットしたかどうか、疑問を抱きながらの幕であった。緊張の糸が切れたとたん、武者震いにも似た震えが走る。寒さのせいばかりではなさそうだ。
 銃声を聞いた親父が、「どうなった、やったか」、「いただいたよ。見たこともねえでっけえ熊だ」興奮ぎみに応える。
 だんだん落ち着きを取り戻してくると、愛犬達が心配になってきた。穴の中のドラゴンは、熊の鼻面に噛み付いている。カゲマルは、丸太ん棒のような後足に噛み付いている。それ以外の犬が見えないのだ。「タロー、ジロー」いくら呼んでもどこにもいない。もしや、と不安が過ぎる。
 後で分かったことだが、巨大な熊に脅かされ、縁の子共々逃げてしまったのだった。逃げたことを叱るつもりはなく、むしろ私のミスで殺られなかったことで、ほっと胸をなでおろす。
 やがて、近くにいた先輩猟師が私の所にやってきて、開口一番「こんなでっけえのは、見たこたあねえわ。五十貫はあるら」。次々と猟友がトランシーバーで場所を確認しながら、「本当に、そんなにでかいもんかい」、半信半疑で登ってくる。
 祭りの肴は、体長百九十センチメートル、体重二百キログラム、脂のたっぷり乗った巨大熊。
 その旨いこと、旨いこと。それにも増してこの日の酒の味は、生涯忘れられないものになった。調子に乗って飲み過ぎたことは大目に見るとして、もう二度とお目にかかることの無いであろう巨大熊との壮絶なドラマは、猟師魂に深く刻まれ、翌日の昼過ぎまでもの二日酔いの頭の痛さまで心地よいものにかえてくれたのであった。

愛犬の壮絶な戦死の記録 1998/1/2 奈良田の山で

 平成十年一月、お正月気分も抜けたころから大雪に見舞われた。なんと積雪百四十センチメートル。本来、雪国と呼ばれる信州や越後では、雪不足でスキー場が悲鳴をあげている、というのにである。
 正月休みに、家族で行った蓼科のスキー場も、この時期にまだ全面滑走できず、飛行機のエンジンにキャタピラを付けたようなマシンで、昼夜雪作りに励んでいた。
 巨大な南アルプス山塊が壁となり、このあたり、雪はあまり降らないはずだったのだが、日本海側の分まで、こっちに来てしまったようだ。最初の雪と二番目の雪で四十センチメートルほどあったところへ、一メートルもの雪だからたまらない。
 一月十五日、未明から降り始めた雪が、八時ごろには積雪二十センチメートル。今日は、次男の記念すべき成人式。新調したスーツにネクタイ、スノーブーツに傘、片手に革靴、という奇妙ないでたちで、私の車に乗り込んだまではよかったが、二百メートルほど走った所で道路の真ん中に立ち往生している車がある。雪スコを出し、やっとのことでこの車を押し出した。今度は、私の車が先になって走り出してはみたものの、ボタボタ降る雪に帰りのことが心配になってきた。
 同乗予定の教頭先生も「こりゃあ無理だぞ、止めとおほおがいいぞ」。成人式は断念。引き返す羽目になった。四駆だし、スタッドレスを履いている愛車なのだが、腹が付くのか、轍を外れるとハンドルがいうことを効かない。やっとのことで我が家に帰ると、心配していた家族が飛び出してきて、「停電だぁー」。
 急峻な地形が仇となり、いたる所で雪崩が発生、南アルプス街道を埋め尽くし、杉、桧、松をはじめ、建築材になりそうな大樹が雪の重みで倒れ、電気の流れを寸断してしまったのだった。
 地元の長老も「こがあのお大雪ゃあ、生まれて初めてどうに」、と目を丸くするばかり。
 この時期、一日おきのペースで猟に出るのが当たり前だったのだが、銃の代りに雪スコを手に、くる日も、くる日も雪かきに追われて腕も腰もパンパン、うんざりである。
 昨年末から猟に出られないので猟師の血は疼き、山が呼んでいるのだが、この雪では如何ともし難く、諦めが肝心か。雪が深いので、猪もカノシ(日本鹿)も日当たりの良い岩下に丸くなって寝ているだろうなぁー、と溜め息混じりに周りの山を眺める日が続く。
 ようやくカジ雪(表面が凍って、雪の上を歩けること)になってきた。犬は、いけそうだ。無理を承知で猟に出ることにする。
 一月二十七日、一ヶ月ぶり、平成十年初の出猟に山の神様は微笑むだろうか、軽口をたたきながら膝上まである雪を掻き分け山に入る。私は、尾根を登る。まだまだ初心者の長男が、三百メートルほど先のマグサに向かう。ここで愛犬達を解き放つと、カジ雪の上を軽快に走りまわる。
 十分ほどして、もう犬が鳴き出した。久しぶりの激しい鳴きにグッときたが、早すぎて射手が間に合わない。しばらくすると鳴きがとれなくなった。尾根を越えたのだろう。長男が行く予定のマグサにとばれたか、トランシーバーに長男の声が入ってきた。「お父さん、止めてるぞ、猪のようだ」、「よしよし行け、無線機を切って接近しろ、犬を撃つなよ」。私も、長男の後を追う。
 まもなく「もう逃がさんけど、犬が絡みすぎて撃てないよ」、「落ち着いて、チャンスを待て」。 私の耳にも、止め鳴きが聞こえてきた。雪をこぐ足が自然と速くなる。
 現場に着くと、なるほど二十貫級の猪が、深い雪に足を取られ、わが愛犬達に噛みつかれ、吠えられ、じたばたしている。銃を撃つのは、やはり無理だ。やむなくサスガ(山刀)で仕留めるべく接近すると、さすがの猪も牙をむいて向かってくる。
 腹の中は、真っ白。脂のたっぷりのった喰いごろの雌猪、二十貫一頭。
「雪が深いのも悪くないな」などとニヤけていたものだが、このことが後日の悲劇の始りだったことを、この時はまだ知る由もなかった。
 翌々日、同じ山に再びトライ。前回は、予定した日だまりの一等地まで探っていないので、まだいるはずである。猪が出るか、カノシが飛び出すか。愛犬達は今日も元気そうだ。特に、今シーズンから仕込み始めた縁の子が、なかなかで期待できる。
 私は沢筋を登りながら獲物の跡を探る。カノシの足っ子が二筋、さらに奥の堰堤上に三筋。ここでリーダー格の犬達が戻ってしまった。そんなばかな、と思いながら予定地へ向かって歩上げ(斜め上)に登る。
 突然、銃声が谷間にこだまする。甲高いライフル銃のようだ。トランシーバーに、「いただいたよ、でかいカノシだ」、親父の一声。驚いた、リーダー格の犬は、私の周りをうろうろしているのだから。続いて「ナナとヒメが、追って来たぞ」、親父の第二報に仰天した。まだ生後七ヶ月ほどの仕込み犬だからである。
 「まだ犬どもは、いっばいいるから、もう一回かけるよ」、縁の子の活躍に、ニヤニヤしながら雪をこぐ。
 三十分もしたろうか、今度は山も揺るがすような凄い鳴きが始まった。尾根づたいに鳴きが下がる。狙いどおりに銃声が響く。「これもでかいぞ」、「二つか、儲かったな」、とほくそ笑んでいると、一尾根越えたマグサで銃声が三発。「いただきました」、「了解、三っつか後の作業がたいへんだ」。ところが対岸の笹深い山でマリの追い鳴きが聞こえる。「まだ来るぞ」。
 それぞれの犬が、四頭のカノシを追い分けたのだった。五百メートル程上流で、マリとクロの止め鳴きが始った。犬に追われ、逃げ場を失い、川渕に追い込まれたカノシが、二匹の犬に吠えられている。少し小振りだが、立派な三の又である。私の心配は犬には通じない。なんとこの日の猟果、大鹿四頭。
 大雪で休んだ分をいっきに取り返したようだが、運搬、解体作業に四時間もかかり、一頭は、翌日まわしとなった。正直、二頭づつ二回のほうがよかった。贅沢なぼやきか。
 二月十日。今度は、かのし会の仲間と猪を狙って出猟。大雪で見切りができないので、ここは一番勘に頼るしかない。綿密な打ち合わせの後、射手がそれぞれのマグサに向かった。
 沢筋を登った薫兄ぃから無線が入った。「でっかい猪が、反対の山に入ってるぞ、ボクシングクラスだ」、ボクシングクラスというのは、初猟に獲った三十貫級の猪で、右の前足が罠にでもやられたのか、手首から先がなくてボクシングのグローブのように丸く固くなった猪のことである。
「明け方、風が吹いとうが、どおずら」、「足っ子にゃあ、ふっこみゃあないで、今朝の足だぞ」、「了解、そりゃあいいや。そりょおやらず」。急転直下、猟場の変更である。
 すでに配置に付いているマグサに移動の連絡が例によって賑やかになる。
 私は、移動が終わるまで待機するしかないのでタバコをくわえながら「今日の猪はでかいぞ、しっかりやれよ」、ラガーの頭を叩いて話しかけると、他の犬たちが嫉いてキュンキュンうるさい。結局十一匹の頭を叩くことになった。
 四十分ほど待って戦闘準備が整い、犬を一斉に放つと勝手知ったる山なので、我先に山を駆け上がる。明け方の足っ子なので、寝屋はそう遠くないはずである。私は、日当たりの良い尾根について、深い雪を避けながらゆっくりと登る。
 長男から第一報、「マリが鳴き出した」、「よし出したようだ。マグサの衆たのんだよ」、「了解」、まずマグサに連絡を入れ、小高い岩によじ登り様子をうかがう。「止め鳴きのようだ」、長男から第二報、「肉声でとれんか」、「わからんよ」、犬の首輪に発信機を仕込んであるので、犬の鳴きも、猪のブーブー威嚇する声も聞き取ることができる。トランシーバーの受信レベルを見れば、おおかたの距離もわかる。かなり遠いようだ。
 深い雪をかき分けて遮二無二登るのだが、いけどもいけども鳴きがとれない。かなりの大猪なので、サクられる(牙で切られること)心配があり、気は急くが止め場が分からなければどうにもならない。
 やっとのことで尾根に出ると、鳴きがかすかにとれる。谷間で鳴いているのか、雪山に反響して場所が特定できない。 集中して聞き耳を立てると河原に近い沢筋のようだ。近くにマグサを張っている重ちゃんに「移動して、止め場を確認してくりょう」と頼んだが、それでも分からない。もたもたしているうちに鳴きが止まってしまった。
 やむなく勘を頼りに山を下る。しばらく下ると、クロとラガー、それに縁の子三匹が揃って登ってくるのが見えた。どの犬も息が弾んでいる。「おまんとう、逃げられたな」、クロが大声でワンワン。こいつらが喋れたらなー、と思いながら頭を叩いてやると、甘えてまとわりつく。顎の下に血がにじんでいる。サクられたようだが軽傷、毎度のことだがラガーは後足をやられた。気が強いせいか、猪の鼻面に絡む癖がどうしても直らない。ヒメもかすり傷程度でナナは尻尾が血だらけだ。半分ちょん切れそうだが、平気な顔で尻尾を振るものだから尻まで真っ赤に染まっている。
 止め場を確認するべく、犬の足跡について下る。右側の急な沢筋に格闘の跡が見えてきた。さらに下ると、雪が血に染まっている。「喰い伏せ(噛み止め)かもしれんぞ」、一報を入れてから、のり(血のり)について下ると、マリが大猪の上に仁王立ちで他の犬を威嚇しているではないか。皆でやっつけたのだが、他の犬は獲物の側に寄ることさえできない。これがリーダー犬の、リーダーたる所以だ。
 三十貫級の大物、なんとまあこいつらとんでもねえことをしでかした。と驚きながら仲間に連絡する。
 猟期の最終日に、もう一度集まることを打ち合わせながらの酒宴では、まず山の神様に奉じたお神酒を回し飲み。「犬が食っちゃって、どうしようもねえな」、「大物どおで、モツが堅いや」、「まだ交尾ずらか、脂がねえな」、なんやかんや云いながら、もっぱら犬の自慢話に花が咲いたのだが、これが悲劇の第二幕だったことを誰一人気付く者はいなかった。
 雄猪三十貫一頭。酒二升、焼酎三升。
 二月十五日、うらめしそうに空を眺める。今年の雪の多いのには閉口したが、最終日の前夜からまた雪になった。天気予報だと昼ごろには回復に向かうとのこと。 この日ばかりは、予報を百パーセント信じて仲間が集まってきた。 私も好きだが似た者同士である。 雪をものともせず、出猟に決定。
 私は、愛犬を引き連れ寝屋に向かって最短距離を登るべく、いつもと違う尾根を登った。新雪で獲物の臭いが拾えないのか、犬がなかなか引けない。山かき(探索)はいいのだが、すぐに戻ってしまう。
「あんまり、無理ょうしちょし」、肇兄ぃの警告が入る。
 一時間も登ったろうか、鉄塔の見回り道の付近で犬が鳴き出した。けたたましい鳴きである。移動する気配はない。「はじめたぞ、猪のようだ」、一報を入れ、汗だくになって目標に向かう。
 かなり接近した所で銃をおろし、カバーをとる。トランシーバーのスイッチを切る。息を整えながら、一歩一歩ゆっくり登るとチラッと見えた。でかい、まるでドラムカンに足を付けたような大猪だ。しかし、引き金を引くチャンスがない。さらに接近するが、老練な猪らしく、犬は絡んだまま上へ上へと逃げる。私の気配に気づいたのだろう。舌打ちしながら必死に追うのだが、四つ足には太刀打ちできない。
 この尾根を越えると逃げられてしまうので、マグサの移動を連絡する。間に合うと良いのだが。
 汗を拭いながら耳を澄ます。遥か彼方、熊笹の生い茂る尾根で止め鳴きのようだ。まいった、一時間で追いつけるだろうか。犬の無線を聞いてみると、マリ、ミヤ、ヤス、クロ、皆いい鳴きをしている。
 姿を見てしまったので、行かずばなるまい。 雪もあがった。気合を入れ直し再び雪山を登る。息も絶え絶えやっと近づくと、ジローが尻尾を引っ込んで戻った。「やられたか」、体に触ってみるが大丈夫のようである。威嚇され逃げてきたのだろう。
 かなり接近したので、犬の鳴きが私を急かす。銃をおろす、トランシーバーを切る。いつもの通り、ゆっくり進む。
 三十メートル程前方でクロの太い鳴き、他の犬もほぼ同じ付近か。ジローは私のすぐ上の、生い茂った馬酔木(あせび)の横で鳴いているのだが、ここで私の重大なミス。ジローの今までの実績から、獲物はクロの方にいるものだと思い込んでしまった。ジローのすぐ前の、馬酔木の陰に大猪はいたのだ。
 私は、猪に気づかず、十メートルほど下を銃を抱いたまま、無謀にも横切ろうとしたのである。この時、斜め後方から牙をガチガチ鳴らして大猪が私めがけて突進してきた。飛び上がりながら、振り向きざまに腰溜めで撃つ、そのまま斜面を滑り落ちた。一瞬の出来事である。 頭から雪の中へ突っ込んだものだから、口といわず、耳といわず雪だらけ。誰も見ていないので、笑われずにすんだのだが、危なかった。
 銃声に驚いたのか、大猪は、私が息を切らせて登って来た山を下っていく。河原のマグサに一報を入れる。「本流びらへ下がるぞ」、「了解」。
 落ち着いたところで、先程の現場を検証する。狙って撃ったわけではないので、当たるはずはないのだが、猪が飛び出した所にのりが付いている。まぐれか、と思ったのはつかの間。なんと、マリが血まみれになっているではないか。「マリ、大丈夫か」、キュンキュン助けを求めている。側に行って愕然とした。サクられたのだろう、内臓が飛び出して立っているのがやっとの重傷である。「マリがやられた、重傷だ、なんとか背負って降りるから病院へ行く準備を頼む」、悲壮な連絡である。
 ザックの荷物を放り出して、マリをそっと入れる。痛いのだろう、キューンキューン鳴く。「マリ、頑張れ頑張れ」、念仏のように唱えながら、急いで山を下りる。
 途中で肇兄ぃから、猪は対岸の山に逃げたことを知らされるが、それどころではない。マリの安否が先で、休む間もなく最短距離を下りる。やっと車道が見えてきた。
 親父が、病院行きの準備をして待っている。とても素人では手がつけられない。いったん我が家に戻り家族全員が見守る中、そっと毛布に包んで親父が出発した。
 私は、汗だくで歩いたので全身びしょ濡れ、悪寒がはしる。急いで風呂に飛び込む。
 頭の中はマリのことでいっぱいなのだが、同様に他の犬達も心配である。早々に着替えて、再び仲間の所へ向かった。
 逃げた猪を追ったまま犬が戻らない。この日回収できたのは、クロ、ラガー、ジローだけだった。夕闇が迫ってきたので、また明日来ることにして引き上げた。
 病院から戻った親父が、「手術してみるそうだが、難しいかもしれん」、今夜は、かなり飲まないと、眠りに就けない気分だ。
 翌朝、おそるおそる動物病院のダイヤルをまわす。リーダー犬マリの、壮絶な戦死の報に目頭が熱くなった。家族に涙を見られぬように外に飛び出す。
 マリは、甲斐犬の中でも小振りなのだが、山かき良し、鳴き良し、足も速く、ねばっこい。狙った獲物はとことん追い詰める、歴代リーダー犬の中でも一流だった。山から帰ってくると、必ず居間の窓辺で尻尾を振ってキュンキュン、只今の挨拶。居間に誰もいないと勝手口でキュンキュン、家族を探し回る。誰からも愛された利口な犬だった。
 想いは尽きないが悲しんでばかりはいられない。他の犬も同様の可能性があるからだ。
昨日の猟場へ向かい、見通しの良い尾根ごとに大声で犬の名を呼ぶ、筒を吹く。 甲斐犬のヤスと、チャチャが戻っただけだった。
 翌々日、縁の子のヒメが追って行ったサクリ(猪の通った跡)を戻った。帰巣本能の弱いミヤとビッグも、やっとのことで回収した。
 次の日も、そのまた次の日も、のこりのナナとイチローを探すのだが、一週間たっても、十日たっても、戻らない。
 四十貫級の大猪に、三匹もの愛犬を殺られてしまった。
 今まで大怪我のない犬達だったが、思えば、前回の喰い伏せに気を良くした、愛犬達の勇み足でもあり。その時に、二時間あまりも止め場を発見できなかった、私のミスでもあろう。もう一つは、大猪を最初の止め場で仕留めるべきであったことだ。私の動きが、猪に判ってしまった、取り返しのつかない凡ミスである。
大きな反省と共に、愛すべき犬の死を無駄にしないよう、雪深い時の、猪猟の教訓として深く胸に刻み、必ずや仇をとることを誓いながら、リーダー犬マリと、駆け出しだが有能なナナとイチローの死を悼み、ここに書き留める。