七不思議の湯 |
七不思議の湯のお話 |
昔々、今から1300年余り昔のことです。奈良の都にお住まいの奈良王様が、ある夜夢を見ました。夢の中で、真っ白い髭をたくわえた翁がこう申します。「甲斐の国、白鳳の深山に諸病に効ある霊泉あり」この頃の奈良王様はご病気だったのです。そうそう、奈良王様とは、第46代孝謙天皇のこと。 奈良王様は、甲斐の国を目指して旅を続けました。古府中(現在の甲府市)に入ると、夢の中の風景を思い浮かべ「あの山を越えたところじゃ」と、櫛形山を指差しました。奈良王様の御一行は、御勅使(みだい)川に沿って険しい山道をのぼり、土ノ小屋峠を越えて、山奥の小さな村にたどり着きました。奈良王様は「おお、ここじゃここじゃ。この地に相違ない。奈良の都は七条なるが、この地は七段、ここも真に奈良だ」と驚かれ、この地は奈良田と呼ばれるようになりました。奈良王様は早速、川向かいの八幡社に手を合わせ、夢の翁に礼を述べられました。 こうして、奈良王様は奈良田の温泉で病を癒しましたが、全快した後もすっかりこの地をお気に召され、8年の春秋をお過ごしになったということです。奈良王様が都へお帰りになった後、村人達は奈良王様のお住まいを奈良王神社として奉り、その残された功績を奈良田の七不思議として後世に伝えました。現在はそのほとんどがダム(奈良田湖)の出現で湖底に沈んでしまい、長い歴史を閉じるかと思われましたが、七不思議の中の「洗濯池」と呼ばれた温泉は、今もなお村人達に親しまれ、いろいろな病に効くことから七つの名を持つ温泉として残っています。御手洗のぬく湯、しょみづ、みょうぞんの湯、長寿の湯、子宝の湯、おぼこの湯、くなの湯。これらをひとまとめにして、奈良王様の七不思議にちなんで、「七不思議の湯」と呼ばれるようになったということです。ひっちまい。 |
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露天風呂 [石造り] |
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ツルツル温泉が、絶え間なくとうとうと溢れます。静寂に身をつつみ、澄みきった夜空を仰げば、星に手が届きそう。 透明・グリーン・白濁 刻々と色が変わります。 |
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露天風呂 [木造り] |
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ぜひ何度もお湯に浸かって、色の変化をお楽しみください。 |
木造りの露天風呂 緑がかっている時の様子 |
七不思議の湯の由来 | |
しょみづ | 孝謙天皇入来当時、奥深い山郷で塩のないのと、川も凍てつく厳しい寒さにお困りになられた帝が八幡杜に祈願されたところ、たちまち真水が塩水に変わり、ぬく湯(温泉)が湧いた。これは奈良田七不思議の中の「塩の池」「洗濯池」と呼ばれている。しょみづ、御手洗のぬく湯とはこの2つの池の成分を含むもので、人類にとって塩は不可欠なものであり、塩泉の薬効は広く知れ渡っている。また、ぬく湯は帝の洗濯物を洗った後、村人に開放され、まるで洗剤を使ったかのようなぬめりのあるお湯が、衣類をきれいにし殺菌効果まであったと云われている。ぬく湯には病魔を「抜く」の意もあるという。 |
御手洗のぬく湯 | |
みょうぞんの湯 | 万病に特効があり、どんな重い病の人もこの湯に浸かると、みょうぞん(明星)のように明るく元気になれるといわれている。 |
長寿の湯 | 美人の湯とも若返りの湯ともいわれる。この湯に入ると肌がつるつるして、見違えるような初々しい肌が保たれ、現代人が使うクリーム等は一切不要である。 |
子宝の湯 | 万病に良いが、特に婦人病には特効がある。孝謙天皇は、在位中に奈良の都で僧の道鏡を愛されたが、道鏡の一物があまりにも大きかったので、いつしか下の病に悩まされ、この湯に浸かり、全快して都へ御還幸になられたといわれる。 |
おぼこの湯 | 子供のさまざまな皮膚病に特効がみられ、あせも、おむつかぶれなども一度でツルツル。アトピー性皮膚炎の改善例もあり、水虫の妙薬でもある。 |
くなの湯 | 焼畑(山の雑木を焼いて肥料にする農法)の3年目以降を「くな(苦無)」という。焼畑農で疲れた身体を苦も無く(すぐに)癒してくれるという意味で、疲労回復が早まり、活力がみなぎる。 |